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東京地方裁判所 平成10年(ワ)10403号 判決 1999年6月04日

原告

佐々木ひで子

訴訟代理人弁護士

稲田寛

被告

安田火災海上保険株式会社

代表者代表取締役

有吉孝一

訴訟代理人弁護士

平沼高明

小西貞行

主文

一  被告は、原告に対し、三〇〇〇万円及びこれに対する平成一〇年五月二三日から完済まで年六分の割合による金銭を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

本件は、転付命令によって、税理士である甲野一郎が被告との間で締結していた税理士職業賠償責任保険契約に基づいて被告に対して有する保険金支払請求権を取得したとする原告が、被告に対し、保険金三〇〇〇万円の支払を求めたのに対し、被告が免責事由の存在を主張して請求を争った事案である。

一  基礎となる事実

1  当事者

(一) 原告は、税理士である甲野一郎(以下「甲野税理士」という)に税務申告を依頼しており、甲野税理士は、原告を代理して原告の平成四年分及び平成五年分の所得税の確定申告手続及び修正申告手続を行った。

(二) 被告は、損害保険業等を目的とする株式会社である。

2  原告による土地譲渡

(一) 原告は、昭和三四年ころから自己の居住の用に供してきた東京都世田谷区中町所在の所有地を分筆し、その一部につき平成四年一〇月八日、残余の部分につき同年一二月二五日、それぞれ売買契約を第三者との間で締結した(以下順に「本件第一譲渡」、「本件第二譲渡」といい、併せて「本件土地譲渡」という)。

(二) 本件第一譲渡の対象となった土地については、平成四年一二月二五日、本件第二譲渡の対象となった土地については、平成五年二月一九日、それぞれ買主に対する所有権移転登記手続がされた。

3  本件土地譲渡に係る課税法律関係

譲渡所得の総収入金額の収入すべき時期は、譲渡所得の基因となる資産の引渡しがあった日を原則とするが、納税者の選択により、譲渡に関する契約の効力発生日の属する年分の収入金額とすることができる(所得税基本通達三六―一二)。

したがって、原告は、平成四年中に所有期間が一〇年を超える居住用の土地を譲渡したものとして、平成四年分の所得税の計算上、本件土地譲渡に係る譲渡所得の全部について、「居住用財産を譲渡した場合の長期譲渡所得の課税の特例」(租税特別措置法三一条の三、地方税法附則三四条の三。以下「本件課税特例」という)の適用を受けることが可能であった(なお、本件課税特例は、譲渡があった年の前年又は前々年において右特例の適用を既に受けている場合には、重ねてその適用を受けることができない。租税特別措置法三一条の三第一項参照)。

4  本件土地譲渡に係る所得税確定申告の経緯等

(一) 平成四年分所得税の確定申告

甲野税理士は、平成五年三月一五日、原告の平成四年分所得税の確定申告を行ったが、本件土地譲渡については、右土地譲渡に係る所有権移転登記手続がいずれも平成四年中には未了であって、譲渡所得の収入すべき日が到来していないものと考え、右申告に含めなかった。

(二) 平成四年分所得税の修正申告

(1) 本件第一譲渡に係る土地所有権移転登記については、前記2(二)記載のとおり実際には平成四年一二月二五日にその手続きを了していたため、原告は、平成六年二月ころ、本件第一譲渡について平成四年分所得税に係る譲渡所得としての納税申告が未了のままである旨の指摘を所轄税務署から受けた。

(2) そこで、甲野税理士は、平成六年三月一日、本件第一譲渡について本件課税特例を適用した上で、平成四年分所得税の確定申告についての修正申告を行い(以下「平成四年分修正申告」という)、原告は、本件第一譲渡について、所得税九六二万三四〇〇円、住民税三六〇万七八〇〇円の合計一三二三万一二〇〇円を納付した。

(計算式)

イ 所得税 (8415万6000円―6000万円)×0.15+600万円=962万3400円

ロ 住民税 (8415万6000円―6000万円)×0.05+240万円=360万7800円

(三) 平成五年分所得税の確定申告

甲野税理士は、平成六年三月一五日ころ、本件第二譲渡について本件課税特例の適用があることを前提として、原告の平成五年分所得税の確定申告を行った(以下「平成五年分確定申告」という)ところ、同年四月二二日、所轄税務署から、前年分の納税申告において本件第一譲渡につき本件課税特例の適用を受けているから、本件第二譲渡について本件課税特例を適用することはできない旨の指摘を受けた。

(四) 平成五年分所得税の修正申告

そこで、甲野税理士は、平成六年四月二二日、本件第二譲渡について本件課税特例がないものとして、平成五年分所得税の確定申告についての修正申告を行い(以下「平成五年分修正申告」という)、原告は、本件第二譲渡について、所得税四七六二万二六〇〇円、住民税一四二八万六七〇〇円の合計六一九〇万九三〇〇円を納付した。

(計算式)

イ 所得税 1億5874万2000円×0.3=4762万2600円

ロ 住民税 1億5874万2000円×0.09=1428万6780円

5  原告と甲野税理士の間の訴訟

(一) 原告は、平成四年分修正申告時に、本件第一譲渡及び本件第二譲渡に係る譲渡所得がいずれも平成四年分の所得であるとして、一括していずれの譲渡についても本件特例の適用があることを前提とした修正申告をすること(以下「一括修正申告」という)を怠った点で甲野税理士に過失があり、このため、原告は、本件第二譲渡について本件課税特例の適用を受けられず、右適用があった場合を三〇一六万〇九〇〇円上回る額の納税を余儀なくされたと主張して、平成八年六月二〇日、甲野税理士に対し、右超過納税額と同額の支払を求める損害賠償請求訴訟を東京地方裁判所に提起した(同裁判所平成八年(ワ)第一一六六二号損害賠償請求事件。以下「前訴事件」という)。

(二) 前訴事件については、平成九年一〇月二四日、甲野税理士に対し、右の過失に基づく損害賠償として、三〇一六万〇九〇〇円及び遅延損害金の支払を命じる内容の原告全部勝訴の判決が言い渡された。

6  甲野税理士と被告との間の損害保険契約

(一) 甲野税理士と被告は、平成元年四月一日、保険期間・平成二年七月一日以降一年ごとに更新、保険金額・三〇〇〇万円、被保険者・甲野税理士として、日本税理士会連合会税理士職業賠償責任保険契約(以下「本件保険契約」という)を締結した。

(二) 本件保険契約に適用される保険約款は、賠償責任保険普通保険約款(以下「本件普通約款」という)及び税理士特約条項(以下「本件特約条項」という)からなり、以下の条項を含むものである。

(1) 被告は、被保険者が、日本国内において税理士としての業務(以下「業務」という)の遂行に当たり、職業上相当な注意をしなかったことに基づき提起された損害賠償請求について法律上の賠償責任を負担することによって被る損害をてん補する(本件特約条項1条)。

(2) 業務とは、税理士法二条一項一号に規定する税務代理を含む(本件特約条項3条(1))。

(3) 被告がてん補する損害の範囲は、被保険者が被害者に支払うべき損害賠償金である(本件普通約款2条1(1))。

(4) 被告は、納税申告書を法定申告期限までに提出せず、または納付すべき税額を期限内に納付せず、もしくはその額が過少であった場合において、修正申告、更正または決定により納付すべきこととなる本税(累積増差税額を含む)等の本来納付すべき税額の全部もしくは一部に相当する金額につき、被保険者が被害者に対して行う支払(名目の如何を問わない)については、これをてん補しない(本件特約条項5条2。以下「本件免責特約」という)。

7  転付命令

原告は、平成一〇年三月二〇日、前訴事件の執行力ある判決正本に基づき、甲野税理士が被告に対して有するとする別紙債権目録記載の債権(以下「本件保険金請求権」という)につき、被告を第三債務者として、債権差押え及び転付命令を東京地方裁判所に申し立て(同裁判所平成一〇年(ル)第二五九一号事件・同年(ヲ)第四二四二号事件)、同年四月二日、同裁判所から債権差押え及び転付命令(以下「本件転付命令」という)が発せられ、その正本は債務者である甲野税理士に対しては同月八日に、第三債務者である被告に対しては同月三日にそれぞれ送達された。

[以上の事実(争いのない事実を除く。)は、甲一ないし三号証、乙一号証及び弁論の全趣旨により認定した。]

二  争点

本件における争点は、甲野税理士が前示一4の本件土地譲渡に係る所得税の納税申告行為に関して原告に対し負担するに至った損害賠償責任について、本件免責特約(前示一6(二)(4))の適用があるか否かである。

1  被告の主張――本件免責特約の適用があることについて

(一) 甲野税理士は、平成五年分確定申告において、本件第二譲渡については本件課税特例の適用を受けることができないにもかかわらず、その適用を受けることができるものとして、本来納付すべき税額よりも低額に算出した税額で確定申告を行ったのであるから、右確定申告は過少申告に当たり、本件免責特約にいう「その額(納付すべき税額)が過少であった場合」に該当するものであり、原告が平成五年分修正申告に基づいて納付すべき本件第二譲渡に係る所得税相当額は本件免責特約にいう「本来納付すべき税額」に該当する。

右のとおり、本件においては、本件免責特約に該当する事由が存在する。

(二) ところで、本件免責特約が、無申告、不納付と並んで過少申告を免責の対象としたのは、納税者がとりあえず過少申告を行い、もし税務当局に過少申告が発覚した場合には税理士の賠償責任を追及し、賠償責任保険による支払によって損害の最終的な填補を図ろうとする納税者の不当な行動を防止し、もって申告納税制度の下における適正な納税申告を担保するためである。

右の制度趣旨からすると、本件免責特約は、被保険者である税理士の過失行為の時期・態様を問わず、いったん過少申告行為が存在する以上、一律に適用があるものというべきである。

すなわち、本件免責特約は、過少申告行為自体が税理士に損害賠償責任を発生させる過失行為である場合に適用があることはもちろんとして、先行して別個の過失行為が存在する場合についても当然に適用されるものと解すべきであるから、右の平成五年分確定申告における過少申告に先行して、平成四年分修正申告についての過失が存在するという後者の類型に属する本件においても、本件免責特約により、被告は保険金支払義務を負わないのである。

右の点は、本件免責特約が「その額(納付すべき税額)が過少であった場合において」と規定し、本件特約条項六条のように「その額が過少であったことに起因する(賠償責任)」等の、過少申告行為と被害者に生じた負担との因果関係を要求する趣旨の規定の仕方をしていないことからも明らかである。

2  原告の主張――本件免責特約の適用がないことについて

(一) 原告は、本件訴訟において、甲野税理士が、平成四年分修正申告に係る一括修正申告を怠った過失によって原告に対し損害賠償責任を負担したことを前提とし、これに基づき甲野税理士が被告に対して取得した本件保険金請求権を問題としているのである。

すなわち、原告は、本件訴訟において、平成四年分修正申告に係る甲野税理士の過失によって納付を余儀なくされた、本来であれば納付しなくて済んだ税額相当の損害のてん補を求めているのであって、その後の平成五年分確定申告に係る過少申告によって、「本来納付すべき税額」を不正に免れようとしたもののてん補を求めているのではない。

右のように、そもそも、被保険者である甲野税理士が被害者である原告に対して支払うべき損害賠償金は、本件免責特約にいう「本来納付すべき税額」に該当しないのであるから、本件保険金請求権につき本件免責特約を適用する余地はないというべきである。

(二) また、被告の解釈によると、仮に甲野税理士が平成四年分修正申告に係る過失に気付き、本件第二譲渡についてはもはや本件課税特例の適用を受けることができないことを前提として、平成五年分確定申告について適正な申告行為を行えば、右の過失によって原告が被った損害が保険金支払の対象となるのに、申告前に過失に気付かずに結果として過少申告行為を行うと保険金支払の対象とならないということになり、極めて不合理である。

第三  当裁判所の判断

一  本件保険事故の発生について

1  原告が本訴請求の前提として主張する甲野税理士が被告に対して有するとする本件保険金請求権の発生原因事実は、前示第二、一5のとおり、甲野税理士が行った原告の平成四年分所得税についての修正申告に関する過失行為、すなわち、甲野税理士が、原告の平成四年分修正申告において、本件第一譲渡及び本件第二譲渡に係る各譲渡所得につき、それらがいずれも原告の平成四年分所得税に係る課税所得に帰属するものとして、本件課税特例を適用したうえ一括修正申告すべきであったにもかかわらず、これを怠り、本件第一譲渡に係る譲渡所得のみが原告の平成四年分所得税に係る課税所得に帰属するものとして、修正申告を行った過失行為(以下「本件過失行為」という)により、本件土地譲渡に係る譲渡所得に関して、適正な平成四年分修正申告が行われたとすれば、負担する必要のなかった過大な納税義務を負担するに至り、過大に納付することを余儀なくされた税額相当の損害を被った(以下「本件保険事故」という)というものである。

2  そして、前示第二、一2ないし4及び甲三号証〔前訴事件の判決書〕によれば、甲野税理士が行った原告の平成四年分修正申告に関して、本件第二譲渡についても、その契約締結日を譲渡所得の収入すべき日として選択することにより、本件第一譲渡及び本件第二譲渡に係る各譲渡所得につき、それらがいずれも原告の平成四年分所得税に係る課税所得に帰属するものとして、本件課税特例を適用したうえ一括修正申告をすることができたのにもかかわらず、これを怠り、本件第一譲渡に係る譲渡所得のみが原告の平成四年分所得税に係る課税所得に帰属するものとして、その修正申告を行った過失、すなわち本件過失行為があることは明らかであり、また、甲野税理士の本件過失行為により原告が被った損害の額は、原告において本件土地譲渡に係る所得税額として現実に納付することを余儀なくされた七五一四万〇五〇〇円(前示第二、一4(二)及び(四)の合計金額)と適正に一括修正申告した場合に算出される本件土地譲渡に係る所得税額四四九七万九六〇〇円との差額である三〇一六万〇九〇〇円であると認められる。

3  右の事実によれば、甲野税理士が、原告に対し、「税理士としての業務の遂行に当たり、職務上相当な注意をしなかったことに基づき提起された損害賠償請求について法律上の賠償責任を負担する」(本件特約条項1条)ことは明らかである。

したがって、被告は、本件保険事故に関して免責事由が存在しない限り、本件保険契約に基づき、被保険者である甲野税理士に対し、保険金額である三〇〇〇万円の範囲内で、甲野税理士が本件過失行為により被害者である原告に対して支払うべき損害賠償金をてん補する責任を負うことになる(本件特約条項1条、本件普通約款2条)。

二  本件免責特約の適用の有無について

1 被告は、甲野税理士が、原告の平成五年分確定申告において本件第二譲渡に係る譲渡所得につき過少申告を行ったことを捉えて、右確定申告は本件免責特約にいう「その額(納付すべき税額)が過少であった場合」に該当し、原告が平成五年分修正申告に基づいて納付すべき本件第二譲渡に係る所得税相当額は本件免責特約にいう「本来納付すべき税額」に該当するから、本件においては、本件免責特約に該当する事由が存在する旨主張する。

2 しかしながら、被告が本件免責特約に該当すると主張する事由は、本件保険事故としての甲野税理士が行った原告の平成四年分修正申告に関する本件過失行為(に基づく損害賠償請求)に関するものではなく、これとは別個の、本件過失行為の後に行われた原告の平成五年分確定申告に係る過少申告に関するものに過ぎないことはその主張自体から明らかなところであって、原告が平成五年分修正申告に基づいて納付すべき本件第二譲渡に係る所得税相当額が本件免責特約にいう「本来納付すべき税額」に該当するということはそのとおりであるとしても、本件免責特約の規定上、原告の平成五年分確定申告に右のような過少申告があったからといって、そのことから直ちに原告の平成四年分修正申告に関わる本件保険事故に関する免責事由の存在を帰結することができるものと解することは困難というべきである。

3 被告は、右1のように本件保険事故に関して本件免責特約に該当する事由が存在すると主張する論拠として、前示第二、二1(二)のとおり主張する。

確かに、弁論の全趣旨によれば、本件特約条項中に本件免責特約が規定された趣旨、目的は、納税者が、税理士の関与の下にとりあえず過少申告等を行い、それが税務当局に発覚した場合には、税理士に対して賠償責任を追及し、過少申告等によって免れようとした税額相当額の支払を受ける一方、税理士がその支払額について賠償責任保険によるてん補を受けられるものとすると、事実が発覚したときでも賠償責任保険によって税額相当額がてん補されるという担保の下に、過少申告等の違法な納税申告行為を誘発することになり、ひいては申告納税制度の根幹を危うくするおそれがあるため、このような危険を防止することを図ろうとしたものと認めることができる。

しかしながら、本件免責特約の趣旨、目的が右のようなものであるとしても、本件において、原告の平成四年分修正申告に関して発生した本件保険事故に係る保険金請求権について、事後的に、平成五年分確定申告に係る過少申告があったことをもって、本件免責特約に該当する事由があると解さなければ、本件免責特約が規定された趣旨、目的に反することとなるとは認め難いものというべきである。

すなわち、もともと、所得税に係る課税法律関係は、歴年をもって課税期間とし、歴年の終了の時に抽象的な納税義務が成立し、原則として、納税者がその年分の所得税についての確定申告を行うことによって、具体的に納税義務が確定し、また、修正申告があった場合には、その段階で、新たに納付すべきこととなる税額分についての納税義務が確定するものである(国税通則法二条九号、一五条二項一号、一六条、所得税法一二〇条、国税通則法一九条、二〇条等参照)。このように、所得税に係る課税法律関係においては、納税義務者が行うある年分に係る所得税の確定申告とその翌年分に係る所得税の確定申告とは、基本的には別個の納税義務の確定行為なのである。この関係を本件に即してみれば、甲野税理士が、原告の平成四年分修正申告において、本件土地譲渡に係る譲渡所得中、本件第一譲渡に係る譲渡所得のみが原告の平成四年分所得税に係る課税所得に帰属するものとして申告したことにより、その段階で、そのような内容のものとして原告の平成四年分所得税に関する具体的な納税義務が確定したところである。前示第二、一4(三)のように、甲野税理士が、原告の平成五年分確定申告において、本件第二譲渡についても本件課税特例の適用があることを前提とした申告を行ったところ、所轄税務署から、本件第二譲渡については本件課税特例の適用を受けることができない旨の指摘を受けたのも、既に右のような甲野税理士が行った原告の平成四年分所得税についての修正申告によって、本件土地譲渡に係る課税法律関係がそのような内容のものとして具体的に確定したからにほかならない。

右のように、甲野税理士がした原告の平成四年分修正申告行為とその後に行った原告の平成五年分確定申告行為とは、別個の納税義務の確定に関する別個の税務行為であるところ、本件保険事故は原告の平成四年分修正申告に関して発生したものであり、被告が問題とする過少申告は、これとは別個の原告の平成五年分確定申告に係るものなのである。

しかも、原告の平成四年分修正申告に関して発生した本件保険事故に関する損害は、あくまで甲野税理士により本件土地譲渡に係る譲渡所得に関して適正な平成四年分修正申告が行われたとすれば、原告において本来負担する必要のなかったはずの過大な納税義務を負担するに至ったことによって、納付を余儀なくされた過大な税額相当の損害に過ぎず、したがって、本件過失行為に基づいて被保険者である甲野税理士が被害者である原告に対して支払うべき賠償金額は、実質的にも、本件免責特約が規定するような過少申告があった場合において修正申告により納付すべきこととなる本税等の「本来納付すべき税額」には当たらないものというべきである。

右のような所得税に係る課税法律関係の構造に照らし、かつ、本件過失行為に基づいて被保険者である甲野税理士が被害者である原告に対して支払うべき賠償金額の性質に照らせば、原告の平成四年分修正申告に関する本件過失行為によって発生した本件保険金請求権が、たまたま、その後に行われた原告の平成五年分確定申告に過少申告があったという事実によって、消滅するに至ったと認めることはできないものというべきである。

4 もとより、甲野税理士が行った原告の平成五年分確定申告に係る過少申告行為は、本件土地譲渡に係る譲渡所得が帰属する年分に関する納税申告処理及びこれに伴う譲渡所得の金額の計算関係上生じたものであって、原告の平成四年分修正申告行為における本件過失行為と無関係なものとはいえないし、甲野税理士のした本件過失行為のために原告が被った被害の額、すなわち「本来であれば納付義務を負担する必要がなかったのに過大に納付義務を負担するに至った税額相当額」である三〇一六万〇九〇〇円と、右の過少申告を是正するために行った平成五年分修正申告により納付すべきこととなった「本来納付すべき税額」六一九〇万九三〇〇円とは経済的に重なり合う関係にあることも否定できないところである。

しかしながら、もともと、甲野税理士が行った原告の平成五年分確定申告に係る過少申告行為は、原告の平成四年分修正申告において、本件土地譲渡に係る譲渡所得中、本件第一譲渡に係る譲渡所得のみが原告の平成四年分所得税に帰属するものとして申告を行った以上、これによって確定した原告の平成四年分所得税に係る課税法律関係を踏まえて、原告の平成五年分確定申告において、その譲渡所得金額の計算上、本件第二譲渡については本件課税特例の適用が受けられないものとして確定申告を行うべきであったのに、本件課税特例の適用が受けられるものと誤信して確定申告を行ったことによって生じたものであるから、原告の平成四年分修正申告に関する過失と、原告の平成五年分確定申告に係る過少申告行為に関する右過誤とは、内容的に別個のものであることは明らかであり、また、甲野税理士が本件過失行為を行った以上、必然的に原告の平成五年分確定申告に関して過少申告行為が行われるという関係にあるものとも認め難いところである。

5 翻って本件事案の本質を全体的に考察すると、本件は、納税者である原告が、甲野税理士の本件過失行為、すなわち甲野税理士が行った平成四年分修正申告によって、本件土地譲渡に係る譲渡所得に関して、本来であれば負担する必要のなかった過大な納税義務を負担するに至った事案とみるべきであって、甲野税理士が右の過失行為に基づき原告に対し法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害は、本件過失行為のために「原告において本来負担する必要のなかったはずの過大な納税義務を負担するに至ったことによって、納付を余儀なくされた過大な税額相当の損害」であり、それは、まさに本件保険契約においててん補することを本来予定している種類の損害であるということができるのである。このことは、右の平成四年分修正申告の後に行われた平成五年分確定申告において過少申告があったという事実によって左右されるものではないというべきである。

これに対し、被告が主張するように、甲野税理士が、本件保険事故を発生させた原告の平成四年分修正申告の後に、平成五年分確定申告において過少申告を行ったことを捉えて、本件保険事故に関し、本件免責特約に該当する事由が存在するものとすれば、それは、右のようにもともと「本来納付する必要がなかった」はずの税額をも、本件免責特約にいう「本来納付すべき税額」に変容させてしまうことにほかならず、そのような解釈が合理的なものとは到底思われない。

なお、被告は、その主張の論拠の一つとして、本件免責特約が、「その額(納付すべき税額)が過少であった場合において」と規定しており、本件特約条項六条のように「その額が過少であったことに起因する(賠償責任)」等の、過少申告行為と被害者に生じた負担との因果関係を要求する趣旨の規定の仕方をしていないとの点を挙げるが、過少申告行為があった場合における「本来納付すべき税額」はそもそも過少申告等に「起因する」税額ではないのであるから、本件免責特約がその指摘するような規定の仕方をしているからといって、そのことをもって直ちに被告の右主張の論拠とすることはできないものというほかはない(ちなみに、被告が援用する本件免責特約の適用を肯定した下級審裁判例[乙二、三号証]は、あるいは当該の相続税の申告に関する納税猶予措置の適用を受けるために必要な申請手続を怠っていた事案に関するものであり、あるいは特定の課税期間についての消費税の確定(還付)申告に関して仕入れ税額控除の規定の適用を受けるために必要な届出手続を怠っていた事案に関するものであって、いずれも本件事案とは基礎的事実関係を異にするものであることは明らかである)。

6 右に認定説示したところによれば、被告が主張するように、甲野税理士が、本件保険事故を発生させた原告の平成四年分修正申告の後に、平成五年分確定申告において過少申告を行ったことを捉えて、本件保険事故に関し、本件免責特約に該当する事由が存在するものと認めることはできず、本件において、他に本件免責特約に該当する事由が存在するものと認めるに足りる主張立証はない。

したがって、本件保険事故について、本件免責特約の適用はないものというべきである。

第四  結論

右のとおりであって、原告が被告に対し、本件転付命令に基づき、本件保険契約に基づく保険金三〇〇〇万円及びこれに対する弁済期の後の日(本件訴状送達の日の翌日)である平成一〇年五月二三日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は、理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を、仮執行の宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川勝隆之 裁判官江原健志 裁判官岩渕正樹)

別紙債権目録<省略>

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